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doc:aa_recovery_outcome_rates

アルコホーリクス・アノニマス(AA)の回復率

~現代における神話と誤解~

2008年1月1日

(2008年10月11日――2007年のメンバー調査の結果を反映)

原著:Arthur S. et al (2008), Alcoholics Anonymous (AA) Recovery Outcome Rates - Contemporary Myth and Misinterpretation [pdf] (Hindsfoot Foundation) recout01.pdf


はじめに

本論はAAメンバーのために書かれたもので、AAの歴史的な記録を調査した結果を内外に伝達することを目的としている。AAにおける回復率について広がっている誤解や誤った評価についての情報を、AAメンバーや学術的研究を行う人々に提供する。

アルコホーリクス・アノニマスの共同体は、外部の議論への参加や公の議論を避けるという原則を長年にわたって確立し実践してきた。筆者たちはAAを代弁していないことを強調しておかなければならない。私たちはAAの歴史に関心を持ち、その歴史の解釈の誤りや(根拠のない)神話の蔓延を正す必要性を確信するものである。

アーサー・S、テキサス州アーリントン
トム・E、ニューヨーク州ラッピンガー
グレン・C、インディアナ州サウスベンド

本論の出版は、アルコホーリクス・アノニマスおよびその世界的なサービス機構のいずれかが、この内容について提携したり、承認したり、支持していることを意味しない。本論に示された見解は、すべて筆者らのみによるものである。

AA、Alcoholics Anonymous、The Big Book、Box 4-5-9、The Grapevine、GV、Box 1980およびLa Vinaはすべてアルコホーリクス・アノニマス・ワールド・サービス社(AAWS)およびAAグレープバイン社の登録商標である。

AAWSおよびAAグレープバイン社の出版物からの本論への引用は、合衆国著作権法の批判・批評・学識および研究のためのグッドフェイス・アンド・フェアユース条項によるものである。


序論

「ひどい思い出ではなく、良い日々の思い出が(トラブルの)原因であるものさ」
~フランクリン・アダムス(1881-1960)

本論は、現在のAAが経験している5%(あるいはそれ以下)の「成功率」と、それとは対照的に1940年代・1950年代にAAが享受したとされている50%、70%、75%、80%あるいは93%(どうぞお好きなのを選んで)の「成功率」についての誤った神話に焦点を当てる。ここで「神話」という言葉を用いるのは、(現在の)低いとされる成功率は想像やねつ造によるもので、事実に基づいた調査によるものではなく、無関心の産物にすぎないことを強調するためである。

一方、注目すべきは(過去の)神話的なパーセントの数字の由来である。それには系統だった調査や、他者による追試や、引用出典の確認という確立した手法の欠如が見られる。こうした神話を広めようとしている者の中には自らを「AA歴史愛好家」を名乗るAAメンバーが少なくない。彼らがフィクションを真実として、また風聞を歴史的事実だと主張しているのは、実に残念なことである。

AA共同体には口伝(述べ伝え)の伝統が強くある。多くの情報は口から語られた言葉として手渡されていく。これには良い面と悪い面がある。神話と真実をどう見分けたら良いのか? AAメンバーは心から何かを真実だと信じていると表明することはできるが、それが正確であるとは限らない。これが神話と真実の違いである。であるがゆえに、本論では確実性を期すため、内容が信頼できる独立した文書の情報源によって確認するという多大な努力が払われた。情報源については脚注および本文中に示してある。

インターネットにおいても、また出版物やAAメンバー個人の話、あるいはテレビにおいても、初期から中期のAAを描写する際に、その典型的な回復率を50~75%としている。こうした高い数字は、しばしば続いて現在のAAにおける回復率が10%、5%あるいはそれ以下であるという描写を伴っている。この(高率と低率の)二つの数字の組み合わせは、牧歌的な過去のAAと、現在の荒涼たるAAとを対比させるために使われる。

・現在のAAにおける回復率が10%、5%あるいはそれ以下であるという主張は誤りである。それは、AAのゼネラル・サービス・オフィス 1) が「AAメンバー調査」について1989~1990年に作成した内部報告書を間違って解釈した結果であり、それが誤ったまま広められたものである。

・AAの(初期における)50~70%の回復率という主張はAAのさまざまな書籍やその他の出版物を出典としているが、たったひとつの例外を除いてその根拠を示していない。その根拠はビッグブック 2) 初版に収められたAAメンバーたちの個人的な経験談に帰せられる。

50~70%の回復率という数字は、1941年に最初に出版物に登場してから現在に至るまで、変更されることも妥当性を検討されることもなく、引用され続けている。

1989~1990年のゼネラルサービスオフィス(GSO)の内部報告書は、過去5回のAAメンバー調査を分析したものだが、これに含まれた手書きのグラフが、AAの「回復率」が5%あるいはそれ以下(もしくはAAの失敗率が95%以上)であるという誤った解釈をしつこく作り出している。3)

AAについてのこれほど重大なしかも否定的な推定が、不用意に流通され、それが「確実」であると主張され、しかも、どこで、いつその「確実性」が確立されたのかが示されることがないのは驚くべきことである。過去の文献からの引用があっても、それは注意を欠いたおざなりなものにすぎず、多くの場合、誤りのある他の出版物を(無批判に)信用して参照・引用しているのみである。誤りを含んだ引用が、他の誤りを含んだ引用を補強するために使われている。

さらに不幸なことは、そうした執筆者(あるいははAAの歴史愛好家たち)の中に、引用元の統計的な信頼性や正確性について、引用元のオリジナルデータを、批判的にかつバイアスを持たずに調査した者は明らかにいない。メンバー調査に示された基礎的なデータから「失敗率」と見なされている数字を単に複製しているに過ぎないのである。その基礎的データとデータの示す意味は、この節の後半に示す。

近年、インターネットを使うことで、誰でも参加できる国際的な討論の場を設けることが容易になった。「回復」、「AAの歴史」、「AAアーカイブ」などと呼ばれるウェブサイトの数も激増した。それらは個人的な不平や長話で溢れかえっているが、AAの歴史やAAの回復のプログラムについても極めて幅広く(修正主義者のものも)扱われている。学術的・医学的な興味を満たすサイトも同様に大量に登場している。

(それらにより)現在のAAにおける回復率が10%、5%、あるいはそれ以下という誤った神話は、その正確性について疑問を投げかけられることも、また根拠を調査されることもないまま、広く伝搬することとなった。AAの回復率あるいは失敗率という話題は、逸話的な誤伝、誤った解釈、主観による大きな影響を受けているのである。

AAにおける回復率についての議論、調査、分析を、本論では二つのカテゴリに分けた調査として報告する。

最初のカテゴリは、現在のAAが5%あるいはそれ以下の回復率しか成し遂げていないという(極めて誤りの多い)主張についてである。このがっかりする成功率の主張は間違いなのであるが、AAメンバーの中にはこれを躊躇なく信じるばかりでなく、個人的な意見を補強する材料として使おうとする一派がある。彼らはAAの歴史の修正主義者であり、初期のAAプログラムの優越性を誇大に主張して宣伝している。

二番目のカテゴリは、50%の人がAAですぐに成功し、「スリップ」した者の半分(25%)が戻ってきて成功することで、全体として75%の回復率を示したという、広く信じられかつ繰り返し表明される見解についてである。これは1930年代後半にAAが始まって以来、「最善の推定値」として流布している。 本論では、これを「50%+25%の成功率(トータルで75%の成功率)」と表現する。

現在までの研究成果によれば、この「50%+25%の成功率」はAAの(初期から現在までを通して)さまざまに見積もられた成功率の中でも最善の値であろうと考えられる。

・この「50%+25%の成功率」という数字には、「真剣にAAに取り組んで努力した対象者について」というただひとつの条件が付けられているが、この条件は極めて重要であるにも関わらず無視されることが多い。(つまりはAAに十分時間や労力を割いた上でなおAAを出ていくかどうか、ということ)。これには、この治療方法に努力して取り組んだ対象でないと、「成功」したのか「失敗」したのかを判定することはできない、という単純かつ明白な前提がある。

重要なことは、過去であれ、現在であれ、この(真剣に取り組んだ人という)カテゴリに当てはまる対象者は、対象者全体の20%あるいは40%(5人に1人か2人)と見積もられることである。

本論のこれ以降では、AAの成功率あるいは失敗率の由来となった情報源を特定し、また除外、ねつ造、誤解を受けた関連情報にも光を当てる。最初に関心と分析の対象となるのは、大きな誤解を受けてきた、GSOによる1989~1990年のメンバー調査の報告書である。


a) 3年おきのAAメンバー調査

1968年、アルコホーリクス・アノニマスはメンバー調査という棚卸しを行った。AA共同体についてより詳しく知る必要性が認められたため、地方選出常任理事によりいくつかのAAグループに対して小規模で試験的な調査が行われた。その目的は、メンバーが自由意志で無記名式調査票にどう返答するか見極めるためだった。

その結果が良好だったので、委員会を設置して、アメリカ・カナダ国内で登録されたグループの5%を対象とした調査を行うことになった。後のパンフレット『アルコホーリクス・アノニマス・サーヴェイ』(過去にP-38という番号が振られていた)は以下のように説明している。

最初にAAとそのメンバーについてより正確な情報の必要性を指摘したのは、当時のAA常任理事会議長でノン・アルコホーリクのジョン・L・ノリス博士だった。 ノリス博士はアルコホリズムを研究・治療する医学的・科学的コミュニティに対して、AAの効果を示す多数の実例を紹介することができたが、しかし正確な情報を提示することはできなかった。 彼は常任理事会の方針委員会の席上でこの問題について述べ、AA共同体がより正確な情報を提供するための方法を検討するよう依頼した。

ノリス博士は「調査を企画したのには、二つの大きな理由がある」と述べている。 1.AA共同体とその有効性について、より正確なデータを、現在増加しつつあるアルコホリズムの分野で働く医師、精神科医、ソーシャルワーカー、法律家などに提供できるようになる。 2.AA自身についてより多くの情報を提供することにより、AAメンバーが、この世界でまだ苦しんでいる何百万人ものアルコホーリクをより有効に手助けできるようになる。

1968年に行われた最初の調査では、アメリカ・カナダ国内の11,355人のAAメンバーが抽出された。この調査が好評かつ有用であったため、アルコホーリクス・アノニマスのゼネラル・サービス評議会はこれを定期的に行うこととした。AAによるこの「3年次調査」は1968年の最初の調査以来3年ごとに続けられている。1996年の調査はゼネラル・サービス評議会が調査の内容について議論したため1年遅くなった。P-48と番号がつけられたAAのパンフレットが調査のおおむね翌年に発行され、その結果を報告している。

これまでに出版されたAAメンバー調査のパンフレット(P-48)
1971年AAミーティングの統計データ アルコホーリクス・アノニマス1989年メンバー調査
1974年AAミーティングの統計データアルコホーリクス・アノニマス1992年メンバー調査
1977年AAメンバーアルコホーリクス・アノニマス1996年メンバー調査
1980年AAメンバーアルコホーリクス・アノニマス1998年メンバー調査
1983年AAメンバーアルコホーリクス・アノニマス2001年メンバー調査
1986年AAメンバーアルコホーリクス・アノニマス2004年メンバー調査
アルコホーリクス・アノニマス2007年メンバー調査

2004年のメンバー調査は2004年8月1~14日に行われた。あらかじめ700のAAグループがランダムに選ばれた。その前年に、選ばれたグループのゼネラル・サービス代議員(GSR)あるいは連絡員に調査票が配られた。

直近の調査は2007年の夏に行われた。その結果は2008年に出版され、本論の「更新版」に反映されている。調査は定期的に開かれているAAミーティングで行われた。選ばれたグループは、メンバー調査を行うために特別なミーティングを開催しないように求められた。

定期的に開かれているミーティングに参加したすべてのメンバーは、調査票を手渡され、全項目に記入するように求められた(すでに他のミーティングで調査に応じている場合を除く)。調査票は無記名式で秘密が保持されるようになっており、記入済みの調査票はゼネラル・サービス・オフィス(GSO)の広報担当者宛に返送された。

成功を計る基準としてソブラエティの長さを用いる

回復の「成功率」を比較するにあたっては、「成功」という言葉の意味が多くの研究者や評論家の間でまったく定まっていないことを理解しておかなければならない。

あるAAメンバーが5年間アルコールを口にしていなければ、ほとんどの評者はそれを成功と判定することに異論はないだろう。その場合、ソブラエティ(断酒)が最初にミーティングに参加した日に始まったのか、それともそれより相当後になってからであるかは問われない。5年間しらふでいることが重要なのである。

現在ではどこでもAAを見つけることができる。そのため多くの人たちが、アルコホリズムの下り螺旋の底に達するよりずっと早くAAにやってくる。彼らが最終的にAAを必要としAAを求めるようになる頃には、AAが何であるかすでに知ることとなっている。そのことは、1970年に出版されたパンフレット「AAサーヴェイ(The Alcoholics Anonymous Survey)」にも記されている。これは1968年に行われた最初の調査について報告している。(注:引用中にある表3および表4は本論に含まれていない)。

ソブラエティ(断酒)期間の長さ
表3:最後の飲酒から経過した期間

ほとんどの人は、AAにやってきてから後のある時点から酒をやめている。それは最初のAAミーティングへの参加より後になる。酒をやめるのは、最初のミーティングの一週間後かもしれないし、一ヶ月後、一年後ということもありえる。しかしいったん断酒が達成されると、その大多数は飲酒に戻らないことが経験上示されている(強調は引用者による)。

AAは、しらふになった後に、飲酒することなく正常な生活に戻り、一杯の酒も飲まずに一生を終えたアルコホーリクの統計を取ってはいないが、私たちはこれがAAプログラムを受け入れた人の標準的なパターンであると推定してよい。

AAはこのように継続したソブラエティ(断酒)を成功と見なしている。ソブラエティとはアルコホーリクが飲酒することなく普通の生活を送ることである。しかしながら、医学・科学のコミュニティにおいては、成功の判断にあまり多くを求めない基準がしばしば用いられる。頻繁に用いられるのは、完全断酒1年という基準である。

この標準を用いれば、アメリカおよびカナダ国内のAAミーティング会場ではどこでも多くの断酒成功例に出会えるだろう。

AAミーティングで調査票を記入した11,355人のメンバーのうち60%が、1年以上アルコールを飲んでいないと回答している(強調は引用者による)。次に示すデータによれば、残りの40%の多数はニューカマーであって、すでに酒をやめているか、最初のミーティングからそう長くない後に酒をやめると想定される。


AAが効果を示すまでの期間
表4:最初にAAを訪れてから酒をやめるまでの期間の長さ

AAの機能を示すもうひとつの指標は、調査回答者の41%が最初のミーティングの直後に酒をやめ、また23%が1年以内に酒をやめている(合わせて64%)という事実によって示される(強調は引用者による)。

女性の調査回答者の68%が最初のミーティングから1年以内に酒をやめたとしているのに対し、男性は63%である。また30才未満の回答者の74%が最初のミーティングから1年以内に酒をやめたとしているのに対し、30才以上では63%となっている。

調査対象者の中にはまだ断酒に成功していない人もかなりいるが、彼らの回復を絶望的だと見なすAAメンバーはまずいないことも述べておかなければならない。ほぼ、あるいはまったく酒がやめられないまま何年間もAAに出席を続け、最終的には断酒を達成した、という人をAAメンバーの多くは少なくとも一人は知っている。(酒がやめられないアルコホーリクがいても)その人がまだ生きているうちは、まだAAが効果を現していないだけだと、AAメンバーの大多数は考えるだろう。


b) 最初の1年の保持率

1990年に発行された、1977~89年のAAメンバー調査の概要報告書にある図C-1

1990年に発行された、1977~89年のAAメンバー調査の概要報告書にある図C-1

一部の論者たちが示す現在のAAへの悲観的な見方は、上に掲げた図の誤った解釈に基づいている。この図は1990年に作成された、それまでのメンバー調査についてのGSOの内部報告文書から引用したものである。この報告書の誤った解釈がこれまで広く拡散されてきた。このグラフには「AAにやってきて最初の1年の人たちが各ヶ月後に何%残っているか」という不適切なタイトルがつけられている。この図は、1990年のGSO内部レポートの12ページにある図C-1である。

この手書きのグラフは、現在のAAが5%の成功率しか達成していないという誤った主張の中核となっている。一番下に書かれたパーセンテージの数列では、その右端のX軸の12ヶ月目のところに5%と書かれている。この5%という数字が、新参者がAAに1年間居続けることができるパーセンテージであると誤って解釈されているが、そうした解釈は5%という数字が実際に示す意味としてはまったく正しくない。ここでは、このグラフの元となったデータとグラフの成り立ちを考慮した上で、(最も重要な)このグラフがどのように解釈されるべきかを論じていく。

図C-1にプロットされたデータは、それまでに行われたすべてのメンバー調査中のある部分集合の人数を示している。その部分集合は、AAに初めてやってきてから1年以内の人たちである。X軸はAAに初めてやってきた時から12ヶ月目までの時間の経過を示している。プロットされている点は、5回のメンバー調査それぞれについて、(初めてAAに参加してから)経過期間ごとの人数がこの部分集合中に占める比率を示している。

下記はこのGSOの内部報告書におけるグラフの説明の引用である。

付録C続き: 図C-1はこれまでに行われた5回の調査について、その結果に注目すべき類似があることを示している。5回の調査はそれぞれの規模の違いを考慮に入れて同じスケールで表示している。5回の調査の平均値を表にしてあるが、この表の数値はAAに来た者のおよそ半数が3ヶ月以内に去ることを強く示唆している。あいにくなことに、そのような脱落がなぜ起こるのかという理由をこの表から読み取る方法はない。

1997年の調査について、初めてAAに参加して最初の1年間のそれぞれの月数の回答者数を、最初の1年の回答者数の合計で割った数を点破線(-・-・)で示している。1980年の調査について、同じデータを++線で示している。1983年の調査は点線(・・・・)で、1986年の調査は破線(- - )線で、そして最後に1989年の調査は実線で示してある。縦軸は5回の調査について各月に分配されたパーセンテージである。

図C-1 5回の調査の平均
分配% 19% 13% 10% 9% 8% 7% 7% 6% 6% 6% 6% 5%
月数 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

グラフの下には「5回の調査の平均」の表が置かれている(上に再掲した)。これによると、最初の1年目の回答者のうち19%が1ヶ月目である。3ヶ月目、4ヶ月目の数字はそのおよそ半分になっており、これを元に報告書の著者は「AAにやってきた人のおよそ半分は3ヶ月以内に去る」と解釈している。

本論の後に掲げる図1には「1977~89年の調査における最初の1年の保持力」という題をつけてある。その図ではこれと同じ情報を、保持率(もしくは脱落率)の曲線として描くことで、より分かりやすく示している。

付録C続き: このような整然とした結果を説明できるメカニズムがあるとすれば、「新しく来た人たちが最初の1年のあいだに徐々に脱落する」こと以外にないだろう。わずかに慰めを得られることがあるとすれば、去った人たちの多くはまた戻ってきて、この表の中の数字にすでに含まれていることである。

最初に少々ミーティングに参加してから来なくなった人たちの多くは、後になってAAに戻ってきて断酒を成功させている。自動車のディーラー(あるいはその他の販売業者でも)は、売った車の数に注目する。ショーウィンドーを覗き込んだだけで何も買っていかない人たちの多さを嘆くことはしない。

AAの共同創始者ビル・Wは1939年の手紙の中でこう書いている。「ここニューヨークでも事情は同じだった。私は6ヶ月にわたってたくさんの人に話しかけたが、永続的な結果は何も得られなかった。この時点の私は、自分が世界中の酔っ払いを救う役割を神によって与えられた、という妄想に取り憑かれて励んでいたのである」4)

付録C続き: 2年目以降も同様の脱落傾向が続いているが、より緩やかになっている。数年を経るうちに、断酒を続ける多くの人がAA内での活動を減少させていくので、このような標本では彼らの存在を適切に表すことができなくなる。

本論のb) 節の題名は「最初の1年の保持率」だが、c) 節の題名は「長期断酒者の増加」となっており、長い期間の断酒とAAへの継続的な参加について、これまでの調査から何が分かるかを扱っている。

付録C続き: この調査の目的は、こうした脱落傾向の原因を明らかにすることでもないし、本人の意に反して(AAに)送られてくる人たち、自分がアルコホリズムであることが納得できない人たち、AAプログラムのさまざまな特色を受け入れらない人たちについて、何らかの提案ができるわけでもない。しかしながらここに示された結果およびそれがAAに投げかける課題は、AA共同体に広く理解されているだろう。

アルコホーリクス・アノニマスでは、一切アルコールを口にしないことが断酒を続ける容易な方法であると教えている。このことは、AAが飲酒をコントロールする方法を教えてくれるところだと期待してやってきた人たちが失望して去る大きな理由のひとつになっている。アルコホーリクがAAに来る理由が、AAに行かない理由を上回ったときに、その人に回復のチャンスが訪れる。

付録C続き:  この結果は、昔から言われている「半数がすぐに飲酒がやめられて、25%も最終的には酒がやめられる」という言葉を否定するものとして拒絶する人も多いだろう。しかしその言葉は初期の(AAを)観察したものだ。その時代から現在までに社会にもAAの中にも変化が起きて、状況が変わってしまったことを疑う理由はない。調査から得られた他の結果と同様に、このことも「変えられるものを変えていく」という課題をAAメンバーに投げかけるのである。

本論のd) 節は題名を「AAの50%+25%の成功率の起源と引用の時系列」で、この50%+25%の成功率についての歴史と、それを解釈するための正しい背景条件を明らかにしている。

昔から言われている「50%+25%の成功率」は、ビッグブック第2版の「再版にあたって」に「AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人の半数は、すぐに飲酒がやめられて、飲まない生活を続けることができた。何度か再飲酒をしたがやめられた人は二十五パーセント」とある 5)。調査による最初の1年間の保持率のデータは、この「50%+25%の成功率」を否定するものではない。

最初の数週間か数ヶ月の間に、新しい人たちは二つの質問に自ら答えを出すことになる。(1)自分はアルコホーリクか? (2)私は真剣に努力して取り組んでいるか? 多くの人たちは自分がアルコホーリクなのかどうか確かめるためにAAにやってくる。ある人たちにとってその答えは明確であり、難しいものではない。しかし一方で、しばらく思い悩む人たちもいる。

AAメンバーの中には、「あなたがアルコホーリクでなければここに来ているはずはない」というレトリックを使って新しい人に印象を与えようとする人もいる。とは言うものの、AAでは一人ひとりが自分で診断を下すことになる。新しい人たちが「アルコホーリクであること」の意味を理解し、情報にもとづいた決断が下せるように、彼らが十分長くAAに留まることが望ましい。

ミーティングへの参加はAAで回復するための絶対条件ではないが、ミーティングは確実に回復の助けになるものだ。隔絶された場所に住むメンバーたちは、ビッグブックその他の書籍だけを頼りにやっていくしかない。近くにAAミーティングのない人たちは、他のアルコホーリクと一対一で関わることになる。しかし、そうしたケースはまれであり、調査のデータを理解する上では、最初の数ヶ月のうちにミーティングにくるのをやめた人たちは「真剣に努力して取り組んで」はいないと推定される。

1990年のGSO内部レポートの図C-1にメモ書きされた「5回の調査の平均」を下の表1に示す。各列は「月」と「分配%」である。グラフ1に描くに当たって、保持率(もしくは消耗率)のカーブを分かりやすくするために正規化を行っている。

グラフ1:1977~89年調査に見る最初の1年の保持率
“Distribution”(分配)は最初の1年の新しいメンバーのうち該当経過月の人の%数
その他の曲線は、月ごとの保持率を示す。
例:3ヶ月目のメンバーの50%は1年経過時にも残っている。 グラフ1:1977~89年調査に見る最初の1年の保持率

表1:最初の1年の保持率
月数 分配 % 1ヶ月目
開始
2ヶ月目
開始
3ヶ月目
開始
4ヶ月目
開始
1 19 100
2 13 68 100
3 10 53 78 100
4 9 47 69 89 100
5 8 42 62 79 90
6 7 39 56 70 83
7 7 36 52 65 77
8 6 34 48 61 72
9 6 32 45 57 68
10 6 30 42 54 64
11 6 28 40 52 60
12 5 26 38 50 56

注記:
・「分配%」は、オリジナルの「図C-1」グラフのもの。
・四捨五入されない「分配%」の合計は(103%ではなく)100%になる。
・「分配%」の数を開始月に従って「正規化」してある。
・得られた曲線は「特定の月」以降の保持率を示す。

元のグラフC-1のデータは、しばしば誤解され間違って伝えられているが、保持率のパーセンテージではない。その理由は

・3年ごとの調査はその時点でのスナップショットを得る断面調査(cross-sectional study)である。毎月同じ人数の新しい人が最初のミーティングに参加してくることを前提にしている。それは調査の時点で最初の1ヶ月を過ごしている人が何人いるかである。

・調査の時点での2ヶ月目の人数と1ヶ月目の人数の比率を計算すると、それが1ヶ月目と2ヶ月目の間の保持率となる。同じ手法で、任意の二つの月の間の保持率を計算できる。もし12ヶ月にわたって誰もかけることなく完全無欠に維持されれば(100%)、最初の1年の人々は12ヶ月それぞれに8.3%ずつ分配されるはずだ。もちろん現実にそんなことはありえないが、これは保持率の計算がどのように行われるか示してくれる。

実際のデータが示すのは:
1ヶ月目の19%は、一部の人が主張するように「81%(すなわち100%-19%)が最初の1ヶ月で脱落する」ことを意味するのではない
3ヶ月目の10%は、「90%(すなわち100%-10%)が最初の3ヶ月で脱落する」ことを意味するのではない
12ヶ月目の5%は、「95%(すなわち100%-5%)が最初の1年のうちにミーティングへの積極的な参加をやめてしまう」ことを意味するのではない

そうではなく、このデータが示すのは、調査の時点で最初のAAミーティング出席から1年未満の人が100人いたとして:
19% の人が、1ヶ月目である。
13% の人が、2ヶ月目である。
9% の人が、4ヶ月目である。
7% の人が、6ヶ月目である。
6% の人が、8ヶ月目である・・・などなどである。

すべての数字に正規化係数(この場合は5.25)をかけることで100%から開始することができ、保持率について合理的な推測を得ることができる。表1の「1ヶ月目開始」の列はニューカマーの最初からの保持率を示すために正規化されている。「4ヶ月目開始」の列は推奨される90日間の導入期間を経過した以降の保持率を示すために正規化されている。

・表1が実際に示すところによれば、3ヶ月を越えてAAに留まった人の56%は1年間経ってもAAの中で依然として活動的である。その他の回の調査では1年後の保持率はこれよりやや良い数字が出ている。

・データを解釈する上でもうひとつ考慮すべきことは、AAミーティングに出席するのはアルコホーリクに限らないことだ。

ある人たちは、家族、職場、司法制度、治療施設、友人、もしくはAAメンバーから後押しされてミーティングに何回かやってくる。その中には、助けが必要だと信じるにはまだ「十分にアルコホーリク」になっていない人たちもいる。それに加えて、現在のAAには飲酒経験のない薬物依存症者が来ることも珍しくない。そうした人たちも、調査の時にミーティングに出席していれば数に数えられる。その中にアルコホーリクス・アノニマスに一度接触しただけで留まらない人がいるのは当然である。

初期のAAメンバー調査における無作為性の特徴として、サンプル抽出の手法の問題が挙げられる。当時は地域評議員が地域内で調査するグループを決定していた。そのグループ選択によっては、調査結果に偏りが生じた可能性がある。しかしながら、アメリカ・カナダには十分な数の地域があるため、最終結果に大きな影響を及ぼすことはなかったと考えられる。

後に、調査するグループはAAWS/GSOに登録されたグループのリストから無作為に抽出されるようになった。この手法でも、もし登録をしないグループに出席する人たちに一定の傾向があるとすれば、サンプルの意図しない偏りを生む可能性はある。アメリカ・カナダでは非常に多くのグループが登録をしていない。

以下のグラフと表は1968年から2007年のメンバー調査の結果を反映している。それらについての分析と解説では、調査データの推定についてより正確で適切な解釈を提供する。


c) 長期断酒者の増加

AAメンバーの断酒期間はどれほどだろうか?

その質問に答えるにはこの3年おきのメンバー調査が役に立つだろう。毎回の調査はその時点でのスナップショットを得る断面調査(cross-sectional study)であり、毎回無作為に選ばれたAAグループのミーティングに出席しているAAメンバーを一斉に調べたものである。

一連の調査を比較することで、AA共同体の構成の変化が明らかにできる。「長期的な」研究を行うために、個人を追跡調査する必要はない。毎回の調査はできるだけ同じ人数を対象にしているので、比較は十分な意味を持つ。

毎回の調査のパンフレットは、メンバーの断酒期間を0~1年、1~5年、5年以上に分けている。この表現を分かりやすくするために、グラフ2および表2では、0~1年、1年以上、5年以上に変えてある。これはグラフを読み取りやすく、理解しやすくするための処置である。

毎回の調査のパンフレットは、標本となったメンバーの平均断酒期間を報告している。ただしパンフレットに「4年以上」とあっても、グラフに書くにはもっと詳しい数字が必要だ。

断酒期間の長さの増加傾向は、グラフ2「長期断酒者の比率の増加」および、表2「長期断酒者の比率」のデータから読み取れる。

その次のグラフ3「長期断酒者の平均断酒期間の増加」の曲線と、表3「長期断酒者の平均断酒期間」は、統計の結果を「より的確」に表現するようにしている。

2004年の調査は、2001年の調査より断酒期間の長さが伸びていることを示している。これは1983年以降の調査において一貫した傾向である。

2004年の調査において、長期断酒として広く認められるであろうとしてそれまで使われてきた「5年以上」という分類が、「5~10年=14%」と「10年以上=36%」のふたつに分割された(合計で5年以上が50%)。

断酒期間の長さが漸進的に増加している様子がAAメンバー調査に反映されている:

図2:長期断酒者の比率の増加

注記:
・出版されたパンフレットに記載されたデータを使用しているが、いくつかのパンフレットからは数値の範囲しか得られなかった。
・範囲しか得られなかった場合には、曲線がなめらかになる数値を採用した。
・1977~1983年の数値は、1977~1989年の調査を分析した1990年の内部報告書から得た。
・1968年と1971年のパンフレットは、40%が1年未満で60%が1年以上としか述べていない。

表2: 長期断酒者の比率
0-1 1-5 >5 パンフレット パンフレット パンフレット 出典 0-1年 >1年 >5年 >10年
1968 40 only this “<1年=40%” “>1年=60%” パンフ 40 60
1972 40 only this “<1年=40%” “>1年=60%” パンフ 40 60
1974 40 35 25 パンフ 40 60 25
1977 37 39 24 “35-40%” “35-40%” “20-30%” 報告書 37 63 24
1980 36 37 27 “35-40%” “35-40%” “20-30%” 報告書 36 64 27
1983 38 37 25 “35-40%” “35-40%” “20-30%” 報告書 38 62 25
1986 33 38 29 パンフ 33 67 29
1989 34 37 29 パンフ 34 66 29
1992 31 34 35 パンフ 31 69 35
1996 27 28 45 パンフ 27 73 45
1998 27 26 47 パンフ 27 73 47
2001 30 22 48 パンフ 30 70 48
2004 26 24 50 “>5年” includes “5-10年=14%” “>10年=36%” パンフ 26 74 50 36
2007 31 24 45 “>5年” includes “5-10年=12%” “>10年=33%” パンフ 31 69 45 33

追加のデータとして、下のグラフ3および表3により、調査対象となった人たちの平均断酒期間の推移を示す。表のデータはミーティングに出席し続けている人たちだけを対象にしている。AAで酒をやめたものの、現在は他の手段で酒をやめており、AAミーティングに来ない人たちは調査に現れない、また断酒したまま亡くなった人も同様である。AAは個々のケースを追跡した記録を取らない。

AAミーティングへの数回の出席が、その人が断酒に関心を持ったことを意味するわけではない。この現実を心にとめておくことはたいへん重要である。同様に、AAミーティングに出席しないことが、再飲酒を意味するわけでもない。

グラフ3:長期断酒者の平均断酒期間の増加

注記:
・1977~1989年のデータは、1977~1989年の調査を分析した1990年の内部報告書による。
・1992~2007年は出版されたパンフレットのデータを利用している。
・パンフレットに「○年以上」と示されたデータはグラフの曲線をなめらかにする値に調整した。

表3: 平均断酒期間の長期推移
平均 パンフレット 参照元
1968 * 記載なし *
1971 * 記載なし *
1974 * 記載なし *
1977 4 記載なし paper
1980 4 記載なし paper
1983 4 記載なし paper
1986 4.3 52ヶ月 paper
1989 4.7 4年以上 paper
1992 5.5 5年以上 パンフレットの曲線
1996 6.4 6年以上 パンフレットの曲線
1998 7.1 7年以上 パンフレットの曲線
2001 7.6 7年以上 パンフレットの曲線
2004 8.1 8年以上 パンフレットの曲線
2001 8.1 8年以上 パンフレットの曲線


d) AAの50%+25%の「回復率」の情報源と引用の時系列

「合わせて75%の回復率」という見解がAAにおいてこれほどまで長く残ってきたのは、それが一貫性のある統計によって証明されたものだからではなく、むしろ伝承が繰り返されてきたことによる。それは極めて一貫性に乏しく、事実の確認が難しいデータや記録であって、AAの回復率について、正当性であれ無効性であれ、論じるためにふさわしいものではない。

AAの共同創始者ビル・Wによって確認され「50%+25%(合わせて75%)の回復率」を成し遂げたとされた標本は、ビッグブックの初版に個人の物語を掲載した初期メンバーたちである。6)

それ以降、このパーセンテージの出典や妥当性について、何も説明や証明はされていない。以下では、回復率についての参照と引用が様々な文献で繰り返されていく様子を年代順に追い、またこの数字に影響を及ぼした要因について述べる。

1938年7月-記録に残る中で最も古い言及は、ビル・Wが、リチャード・C・カボット医師に宛てた手紙の中で引用されているものだ。ビル・Wはこう記している。

これまで私たちは正確な統計情報を作成したことはありませんが(強調追加)、私たちはこれまですべてをあわせておよそ200の事例を扱い、そのおよそ半分が回復していると思われます。医師たちによれば、私たちはほぼ例外なく、一般的には絶望的だと見なされている範疇の問題飲酒者だそうです。7)

1938年8月-当時のAAメンバー数は相対的に少なかったので、個々のメンバーの成功・失敗を追跡することが可能だった。アルコホーリクス財団理事会の最初の会合議事録によると 8)、初期のニューヨークのメンバーハンク・Pが、フランク・アモスの求めに応じて共同体の中のアルコホーリクと(メンバー)候補者について一斉調査をした結果を報告した。それは二つのグループ(オハイオ州アクロンとニューヨーク)によるものだった。ハンク・Pの報告した数字は、

人数 報告 %
41 確実に有効 44%
6 疑わしい 6%
12 あまりに困難で事実上拒否 13%
10 確実だが連絡がない 11%
25 候補者 27%
94 総計

94人のメンバーと候補者のうち、51人は「確実な」回復者であると見なされていることからすれば、回復率は55%となる。「確実な」51人のうち10人は「連絡がない」(これは断酒しているが、ミーティングに出席しないか他のメンバーと連絡を取らないことだと考えられる)。1938年に報告されたメンバー総数は、ビッグブックが1939年8月に出版されたときに表明されたメンバー数より4人少ない。

1940年2月-50%+25%の成功率について最初の公けの言及は、ニューヨークのユニオンリーグクラブで行われた歴史的なロックフェラーの夕食会でビルが行ったスピーチで、こう述べている。

この本が出版された昨年4月の時点で、私たちはおよそ100人おり、その多くは西部にいました。私たちは正確な数字を持っていませんが(強調追加)、最近人数を数えたところ、このことが始まってから真剣に興味を持ってくれたすべての人の中で(強調追加)、そのおよそ半分がまったく再飲酒していません。25%は何らかのトラブルを抱えているか、あるいは過去に抱えていましたが、私たちは彼らが回復するだろうと判断しています。残りの25%については分かりません。

「真剣に興味を持ってくれたすべての人の中で」という限定条件に注目して欲しい。これは、主張されている成功率が、AAにやってきた人すべてを対象としたものでないという重要な背景情報を提供してくれる。この情報はしばしば見落とされ、削除されてしまう。

これにより、誇張された非現実的な成功への期待を作り出しうる。またそれは、過去の結果の解釈を歪め、過去のAAが高いパーセンテージの成功率を成し遂げていたという誤った印象を作り出しかねない。実際に実現されていたのは推測したほどのパーセンテージではなかったのにも関わらずである。以下に示すように(この時系列では1949年)、ビル・Wが引用した成功率は、5人の候補者のうち1~2人(すなわち全候補者数のうち20~40%)に限って適用されるものであることを理解しておくことが重要だ。残りの候補者(5人のうち3~4人、60~80%)は、ビルによって「短い接触の後でAAをやめてしまった」と記述されたのである。

1941年3月-最初に全国的に出版された50%+25%の記述は、ジャック・アレキサンダーによる歴史的な「サタディ・イブニング・ポスト」紙の記事中に存在する。それによると、

アルコホーリクス・アノニマスの人々は、精神病を患っておらず、酒をやめたいと心から願っている(強調追加)飲酒者には100%有効だと主張している。付け加えるに、このプログラムは「酒をやめたいと思いたい」だけの人や、家族や仕事を失うことを恐れて(酒を)やめたいだけの人には効果がない。彼らによると、効果的な願いとは、啓蒙された利己主義(self-interest)に基づくものでなければならず、候補者は監禁や早死にを避けるために酒から逃れたいと望まねばならない。コントロールできない酒飲みが、寒々とした社会的な孤独に嫌気が差すことで、メチャクチャになった人生に何かの秩序が導入されることを望むようにならねばならない。

境界線上の候補者をすべてきちんとふるい分けることは不可能なので、実効的な回復率は100%を下回る。AAの推計によれば、世話をしたアルコホーリクの50%はほぼただちに回復し、25%は1回か2回の再発を経験してから良くなり、残りは未だに確かでない。この成功率の高さは特筆に値する。従来からの医療的・宗教的治療についての統計はないが、非公式な推定によれば通常のケースについては2~3%を越えるものではない。9)

「AAの推計によれば」という限定詞に目を向けて欲しい。「AAの記録によれば」ではない。歴史的文書によれば、1941年当初のメンバー数は推定2,000人であったものが、1941年の終わりには推定8,000人にまで膨れあがった。10) 「精神病を患っていない酒飲みには100%有効」という主張は明らかに誇張であるが、これには「酒をやめたいと心から願っている飲酒者であれば」と同様の限定が付けられているのである。

初期の一部のAAグループはメンバー数や、その断酒期間や、再飲酒の記録を取っていない。こうした限定的な記録に基づいて国や地域レベルの回復成功率を主張するのはふさわしいことではない。ではあるものの、1941年以降、この50%+25%の成功率の数式はAAのマントラ(神秘的な威力を持つ呪文)となり、その数字が変化することがなくなった。パーセンテージはしばしば文脈を外れて引用され、それがあたかもAAに遭遇したすべての候補者に当てはめられる数字であるかのように扱われた。もちろん当てはめられるものではない。これまで述べてきたように、またこれ以後にも示すように、このパーセンテージは候補者全体の一部にのみを対象とする限定がついているのである。

1944年1月-ジャック・アレキサンダーの記事から約3年後、ハリー・チーボー医師が「アメリカ精神医学ジャーナル」誌にて、1935年から1942年の回復率について、同様の、しかし明白な、主張を行った。11)

この組織のニューヨーク事務所にある統計は、次のようになっている。
最初の年の終わりまでに5人が回復した。
2年目の終わりまでに15人が回復した。
3年目の終わりまでに40人が回復した。
4年目の終わりまでに100人が回復した。
5年目の終わりまでに400人が回復した。
6年目の終わりまでに2000人が回復した。
7年目の終わりまでに8000人が回復した。
アルコホーリクス・アノニマスは、彼らの方法に真剣にやってみる者(強調追加)の75%が回復すると主張している。

「彼らの方法を真剣にやってみる者」という限定条件が加えられていることに注目して欲しい。75%の回復率は、候補者全体のサブセット(部分集合)に対して適用されたものである。

1944年5月-(文脈を考慮に入れれば)さらなる限定条件が、ニューヨーク州医学会での講演のリプリントに登場した。その中でビル・Wはこう語っている。12)

アルコホーリクス・アノニマスはかつてアルコホーリクだった男女12,000人の形式ばらない共同体で、お互いに団結し、アメリカ・カナダの各地域で325のグループを作っています。各グループの大きさは半ダースから数百人です。一番古いメンバーは8年あるいは10年近く断酒を続けています。

心から酒をやめたいと思った人たち(強調追加)の50%はすぐにやめられました。25%は何度か再飲酒した後にやめ、残りのほとんどにも改善が見られました。私たちのメンバーのおそらく半数は、酒飲みになる以前は、普通の人と変わらない生活をしていました。残りの半分はおおむね神経症患者と見なされてきた人たちです。

もう一度「心から酒をやめたいと思った人たち」という文脈を心にとめて欲しい。さらに別のところでも、専門的な出版物にAA情報を提供する中で同じ表現が登場している。

1947年6月-“Survey Midmonthly”誌に掲載された「問題飲酒者」というタイトルの記事でこう述べられている。

タイム誌の2月号によると、AAは設立から13年で、国外のカナダ・ラテンアメリカを含めて1,200の支部を持ち、毎月千人の新しいメンバーを獲得している。メンバーからの献金で運営され、オフィスを持たず、会費もなく、大きな財源もない。メンバーは他のアルコホーリクを助けることを誓っているが、求められたときだけ手助けしている。無名性はこの組織の重要なルールであり、新しいメンバーを参加しやすくさせている。

タイム誌の報告するところでは、AAメンバーのおよそ50%は参加してすぐに酒をやめ、25%は1回か2回のスリップの後に成功した。これは、5パーセントを除くアルコホーリクは以前には回復は絶望的だと見なされていたのとは対照的である。13)

引用された成功率には限定条件が付いておらず、すべての候補者に適用できる数字であるかのように示されている。

1949年4月-“Survey”のこの号には以下のような抜粋が掲載されている: 14)

二人の常習的飲酒者がオハイオ州アクロンに種を撒いた。一人は医者、もう一人はブローカーだったが、どちらもアルコールの嗜癖によって経歴を台無しにされ、家庭も崩壊寸前だった。二人は聡明な人間として懸命に戦っていたが、飲まないでいる間に協力するようになるまで、成果を出すことはできなかった。だから彼らは、飲んだくれは別の飲んだくれを助けなければならないと決意した。そのアイデアがこんにちの有名なアルコホーリクス・アノニマスへと成長した。それからの年月、かつては大酒飲みだった二人は彼ら自身の継続的な断酒を達成するだけでなく、他の者たちも同じ目標を遂げるよう助けてきた。

現在では、彼らの始めた組織は、国内に2,400の支部と85,000人の会員を抱えている。メンバーはすべてアルコホーリクで、彼らにとって毒である物質を遠ざけるようにお互いに助け合い、懸命に戦っている。メンバーの多くはAAメンバーになって以来一滴も飲んでいない。他の者は時に再飲酒したが、彼らも組織に戻って戦いを続けてきた。以前のメンバーの中には、絶え間ない酔っ払いに戻ってしまった者もいる。しかし、アルコホーリクス・アノニマスのメンバーの75%は断酒を達成しており、この国のアルコホーリクのリハビリテーションの歴史の中で、最も幅広い成功を実現した試みであると広く認められている。

その人の断酒がもう何年にもわたって続いてきたものだとしても、今日断酒していた者が明日には酔っ払っているかもしれないのであるから、「成功」の統計は信頼できるものではない(強調追加)。ではあるものの、医師、科学者、ソーシャルワーカー、聖職者、公衆衛生の専門家、悩める家族、さらにアルコホーリクに関わらざるを得ない者たちが、AAの成功を驚きの目で見つめてきたのである」

Surveyの記事が「「成功」の統計は信頼できるものではない」と述べているのに注目して欲しい。成功率の数字には限定条件が付けられていない。ではあるが、当時アルコホーリクについて注目に値する成功率を主張していたのはAAだけではない。1949年のSurveyの記事では、その著者がYale Plan Clinicsについてこうコメントしている。

Yale Plan Clinicでは当初から診断が主要な関心事だった。しかしながらまもなく、他のコミュニティ・サービスで提供されていない治療を必要とするケースでは、診断のすぐ後に治療と指導が続かなければ、診断が意味を持たないことを経験が教えてくれた。クリニックは開設以来1,100人のアルコホーリクを引き受けてきたが、その60%は完全な断酒を達成するか、飲酒と飲酒の間隔が明らかに長くなっている。日常的にクリニックとアルコホーリクス・アノニマスとの間で相互に紹介が行われており、クリニックがAAから患者を引き受け、また逆に共同体プログラムから助けを得られそうな患者にはクリニックがAAを薦めている。多くの人がクリニックの患者でありつつ、活動的なAAメンバーとなっている。

Surveyの記事は、AAの創始者が主張した印象的な成功率とほぼ同じことを述べている。

Edward J McGoldrick Jr,は、ニューヨーク市福祉局が設置したアルコール治療所の責任者である。彼はアルコホーリクの治療者としては個性的で、アルコホリズムが疾病であるという理論を拒絶している。

Bridge Houseの治療者はすべてMcGoldrickの手法によってリハビリを受けたかつてのアルコホーリクである。この手法はアルコホーリクス・アノニマスの手順とは異なっているが、アルコホーリクとして「底をついた」人たちは他のアルコホーリクを効果的に手助けできる理論という彼の理論に基づいている。

McGoldrick氏は一般大衆に向けてアルコホリズムが病気であると呼ぶことに反対している。それはアルコホーリクに弱さと無力感を与え、飲み続ける口実を授けることになってしまう。また彼は強制された治療も、それが改心するのに必要な肯定的な意志の素材を無視しているがために役に立たたない、と反対している。Bridge Houseはたった20床であるが、入院・外来をあわせて年間350人のアルコホーリクを迎えている。McGoldrick氏による1年間の完全な断酒を基準とした成功率は66%となっている。これは良い数字だが、ニューヨーク市にはまだBridge Houseに着いていない20,000人ほどのアルコホーリクがおり、またどの都市であれ女性のアルコホーリクに影響を及ぼすには至っていない。ではあるものの、これは全国からの注目を受けているプロジェクトである。

1949年11月-「アメリカ精神医学ジャーナル」での記事でビル・Wはこう書いている。

私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリクのうち(強調追加)50%はすぐに酒をやめて留まり続け、25%は何回かの後に酒をやめ、残りにも通常は改善が見られた。しかし、多くの問題飲酒者、おそらく5人中3人から4人が、短い接触の後にAAをやめていった(強調追加)。その中には精神病質やダメージが大きすぎる者たちもいた。ではあるが、大多数は強力な自己正当化を抱えており、それはやがて行き詰まる。実際のところ、その行き詰まりは最初の接触においてAAが「良い接触」と呼ぶものによってもたらされる。アルコールという業火に焼かれ、彼らはたいてい数年以内に私たちの元に戻ってくる。

ビル・Wは、この成功率は、5人の候補者のうち1~2人の「私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリク」というサブセット(部分集合)に対して当てはまるものだと限定条件を付けている。残りの候補者たち「5人のうち3~4人」(60-80%)は「短い接触の後にAAをやめていった」としている。

1955年7月-以下はビッグブック第2版の序文から抜粋である。

AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人の(強調追加)半数は、すぐに飲酒がやめられて、飲まない生活を続けることができた。何度か再飲酒をしたがやめられた人は二十五パーセント、残りの人もAAにつながっているかぎり、良いほうに変わり、いろいろな改善が見られた。ほんのちょっとAAミーティングに顔を出して、プログラムが気にくわないと決めつけて来なくなってしまった人は何千人もいたが、そのうちの約三分の二は、後になって戻ってきた。

ビル・Wはこの序文を書き、「AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人」と表現を再び使っている。(20周年を迎えた)1955年のAAに、どんな人がやってきて、どんな人が残り、どんな人が戻ってきたかを詳しく描写しているが、これは誰かによる推測であり、それも「最も良い推定」にすぎない。ではあるものの、何であれビッグブックに書かれたことは、しかもそれがビル・Wが書いたことであればなおのこと、多くのメンバーにとってそれは疑うことない真実、間違いを指摘することなど思いもよらないものとして受け止められたであろう。

1955年7月-ビッグブック第2版の物語の部分の序文にはこうある。

1939年出版された本書の初版では、29人のアルコホーリクの体験が掲載されていた。この第2版では、膨大な数の読者に最大限自分も同じだと気づいてもらえるよう、上記のように体験のセクションを拡充することとした。当初の29人のその後の経過を見ると、その記録はこの上ない歓びである。そのうち22人は明らかにアルコホリズムから完全な回復を遂げている。私たちの知識と信頼のおよぶ限りでは、そのうちの15人は完全な断酒を続けてきており、その平均は17年におよぶ。15)

「AAのパイオニアたち」の部の序文では、こう述べられている。16)

AAの最初のグループのメンバーであったドクター・ボブと12人の男女が、彼らの経験を語ってくれる。そのうち3人は自然な原因によってすでにこの世を去ったが、彼らのすべてが完全なソブラエティを維持し、その期間は1955年の時点で15年から19年におよぶ。今日では、その他にも何百というAAメンバーが少なくとも15年間にわたって再発することなく過ごしている。彼らは、アルコホリズムからの解放が永続的たりうる証人である。

ビッグブック初版に掲載された29編の物語のうち、22編が第2版に引き継がれなかった。この数字は、それらの物語はメンバーが飲酒に戻ってしまったから外されたのだ、という誤った伝説を生む原因となってきた。現実はその正反対である。22編の物語は、単にその時点(1955年)でのAAメンバー構成をより良く反映するために差し替えられたのだ。

・ビル・Wによるビッグブック第2版の物語の序文によると、ビッグブック初版に物語を掲載した29人の初期メンバーのうち、76%(29人中22人)がAA20周年(1955年)に断酒を続けていた。

・初期メンバー29人中7人(24%)は飲酒に戻ったが、後に再び断酒した。他の7人(24%)は飲酒に戻ったまま再び断酒することはなかった。

ここに表されたものが、「50%+25%」の成功率の主張を明確に支えるデータとして唯一のものである。その範囲は3つのグループ(アクロン、ニューヨーク、クリーブランド)に限定されており、そのサンプル数(29人)は1939年4月時点でのAAメンバー数推定100人の約30%となっている。

1958年4月-ビル・Wはニューヨーク州医学会でアルコホリズムについて講演を行った。17) その中で、AAの初期の歴史についてこう述べている。

私たちが次に必要としたのは広報でしたが、それには協力が得られました。1939年には著名な編集者でライターでもあったFulton OurslerがLiberty誌に記事を書いてくれました。翌年には、John D Rockefeller, Jr,がAAのために夕食会を開いてくれ、そのことは広く取り上げられました。その次の1941年には、Saturday Evening Postが特集記事を掲載してくれました。その記事によって何千もの新しい人たちがやってきました。私たちは数の上でも、有効性の点でも成長し、回復率は向上しました。

AAに真剣に取り組んだ人の(強調追加)かなりの割合はすぐに酒がやめられ、その他の人たちも最終的には酒をやめました。残りの人たちも、AAに留まっている限り、確かに改善が見られた。私たちの高い回復率はその後も保たれており、それは『アルコホーリクス・アノニマス』の初版に体験記を載せた人たちについても言えます。彼らの75%は最終的に断酒を成し遂げており、死あるいは狂気に至ったのは25%に過ぎません。現在も存命の人たちの断酒期間は平均して20年になります。

AAの初期から今まで、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人がそうでしょう(強調追加)。しかし幸いにも、彼らの大多数はやがて戻ってくることが分かりました。ひどく精神病質であったり、脳にダメージがなければですが。死をもたらしうる病気に取り憑かれていることを、他のアルコホーリクの口から一度聞かされると、その後の飲酒が彼らを行き詰まらせるのです。結局彼らはAAに戻って来ざるを得ません。そうするか、死ぬしかないのですから。これは時には最初の接触から何年か後になります。ですから、AAにおける最終的な回復率は、当初考えられたよりすっと高いのです。

ビル・Wの1958年の講演では、50%という数字は「かなりの割合(a large percent)」で置き換えられている。ビルがまたAAにやってきて去って行った候補者について述べていることに着目して欲しい。75%の回復率は、ビッグブックの初版に体験記を載せたAAのパイオニアたちに限定されている。

ビルの説明の中で、さらに有用と思われるのは、「AAから今まで(1958年)、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人(つまり60%)がそうでしょう」と述べている部分だ。AAの歴史のこの時点では、ビル・Wが報告した成功率を確認するものも、論破するものもない。単に記録がないのである。

1960年4月-ゼネラル・サービス評議会での発表で、ビル・Wはこう述べている。

私たちの未来に何が待っているのでしょうか? それは危機かも知れません。否定的に考えれば、どうやって私たち自身を危機に備えて強くできるでしょうか? 肯定的に考えるのなら、どうやったら、私たちの周りにあふれる酔っ払いともっとコミュニケーションできるでしょうか? 私たち自身良くやったと言ってきましたし、これまでの成功を喜んできました。けれど冷静に考えれば、私たちのソサエティが成し遂げたことは、アルコホリズムという問題全体に小さなひっかき傷をつけたに過ぎません。そのことを無視するわけにはいかないのです。・・・私は思い起こします。・・・AAがあったこの時代、この25年間、世界のアルコホーリクが行列をして私たちの前を通り過ぎ、断崖から落ちていったのです。世界的に見れば、そのような人たちがおよそ2千5百万人いるでしょう。過去25年の間に、絶望と、病いと、不幸と、死の流れの中から、私たちが救い出せたのは100人に1人にすぎません。

ビル・Wによるこの声明は、2千5百万人がAAにやってきて、そのうち100人に1人しか残らなかったという意味だとしばしば誤解された。華麗な言葉を注意深く読んでみれば、アルコホーリクの行列が「私たちの前を通り過ぎた」と述べられている。彼は「私たちの中を通り過ぎていった」とは述べてはいない。これはアルコホリズムという「世界的な」問題について、アルコホーリクス・アノニマスがアメリカ・カナダ以外ではほとんど知られておらず、またアメリカ国内でも「どこにでもある」という状態からほど遠かったそれまでの25年間についてである。

AAが成功していないと悲観的に見ているわけではない。そうではなく、これはアルコホーリクに手を伸ばせるようにAAが可能な限りどこにでも広がっていく挑戦である。ビル・WはAAがより多くのアルコホーリクに手を伸ばすことを予見し、その可能性からすればAAがこれまで小さな一部しか達成してこなかったと述べている。彼はこれまでの成果は良かったからこそ、より多くの場所で提供される必要があると考えていたのである。

この文脈の中から「100人に1人」だけを抜き出して、それを1%の成功率と呼ぶこともできる。そうではなく、これは奇跡と説明される。25年前にオハイオ州アクロンで二人の男が酒をやめた。その方法が世界中のアルコホーリクの1%を助けたのである。1960年後半、“AA Today”18) という本の中でビル・Wはより曖昧でないかたちでこう述べている。「残りの人たちには、依然として手が届いていません。なぜなら彼らはアルコホーリクス・アノニマスを知らず、また文字通り、彼らの住む場所にAAが届いていないからです。世界中の何百万人ものアルコホーリクが彼ら自身で「AAのことを聞きつけて行ってみる」ことができずにいます」。

これまでの25年の間に、世界中で2,500万人の男女がアルコホリズムに苦しんでいたのは確かなことです。そのほとんどすべてが、今も病み、狂い、また死んでいることでしょう。

AAはこれまでおよそ25万人に回復をもたらしました。残りの人にはまだ手が届いていないか、すでに届かないところに行ってしまいました。次の世代の酔っぱらいたちが今も大量に誕生しています。この問題の大きさに直面して、いったい私たちの誰が満足して座って、こう言えるでしょう。「皆さん、私たちはここにいます。あなたたちが私たちのことを聞いてやって来ることを願っています。そうすれば手助けしてあげられますよ」

もちろん、私たちはそんなことはしません。私たちは広くさらに広く開拓し、考えられるありとあらゆる手段と経路を使って私たちの仲間に手を伸ばそうとしています。・・・奉仕(サービス)するという伝統を受け継ぐ者として、私たちの何人がこう言ったでしょう。「ジョージが12番目のステップに取り組んでいる。彼は他の酔っ払いに関わるのが好きなのだ。だが私は忙しい」 きっと、そんなことを言った人は多くはないはずです。そんな独りよがりになれるはずがありません。

おそらく私たちの次なる未来に待っている大きな責任はこれでしょう。私はアルコールの問題全体を、アルコホリズムのぞっとする結果に苦しんでいる人たち全員のことを考えています。その数は天文学的です。

ビル・Wはさらにこう述べている。「アルコホリズムが最優先の健康問題であるという事実への認識が広まるにつれ、公共の、国の、また個人のレベルでも、あらゆるところで取り組みが起きてくるでしょう」。彼はAAメンバーが政府機関に対して持つ怨嗟や疑念をたしなめ、AAの友人たちとのさらなる協力が必要だと説いている。

外部の機関とより友好的に、より広範囲に協力することで、そうしなければ取り逃がしてしまう数多くのアルコホーリクに私たちの手が届くようになるのではありませんか? 私たちは愚かしくも成功を台無しにしているのではないでしょうか。おそらく、途方もない可能性を秘めたコミュニケーションを自ら妨げているのでしょう。

ですから、これについて新しい見方をしてみましょう。

考えてみれば、どのような見方をしたところで、私たちは成長から遠く離れていることにほとんどの皆さんが同意してくれるでしょう。私たちの使命は、個人としても、共同体としても、12のステップを継続的に使って正しく成長していくことです。

1968年-最初のAAメンバー調査のパンフレットがAAWS/GSOから配付された(『アルコホーリクス・アノニマス調査―11,355人のAAメンバーが彼ら自身について答えた』と題されていた)19) 。その7ページから引用する。

とはいえ、このような調査票に回答することで、AAメンバーは幅広く抽出されたサンプルと、自分の経験を比較することができるようになった。これは1968年の夏の間に北アメリカのミーティングに出席した1万人以上のAAメンバーを調査した結果である。

これまで一般的にすべてのメンバーが手にすることができた調査・比較の基準としては、この共同体の初期に作られた大ざっぱな推定が唯一のものだった。その推定値は意外に正確であり、真剣にAAに参加した者(強調追加)の50%はすぐにあるいは最初の数週間以内に酒をやめ、さらに25%が最終的には酒をやめ、残りの25%は酒をやめられないひとつ以上の原因があるように見受けられた、というものだった。

この他にも何年間にもわたった調査があった。その中のひとつ、テキサスではあるひとつのグループのメンバーの経過が追跡された。また、ニューヨーク市やイングランドではより入念な調査が行われたこともある。

これらの調査の結果は50-25-25の推定を補強する傾向があり、AAが異なった場所で、またたいへん多くの人たちにとって、長い期間効果を現してきたことを示す励まされるものであった。ではあるが、これらの初期の調査には欠点もあった。例えば、標本数が少なすぎるか、地理的に限られた地域から得られていた。ある場合においては、標本はランダム抽出ではなくあらかじめ選ばれたものであった。


e) AAの成功率・失敗率とその根拠についての評価

AAが形成された時期(1935~1939年)に、どれだけのAAメンバーが断酒し、あるいは飲酒に戻っていたか、その数を正確に明らかにできる者はいない。ではあるが、達成された成果について程良い象徴的な推測を行おうとする努力が(過去においても、また現在も)払われてきた。AAが手助けしようとしている問題の対象となる人数については、他にもいくつか見積もりがある。

National Institute on Alcohol Abuse and Alcoholism (NIAAA) の2008-2013戦略プラン 20) には「アルコール問題とその影響の趨勢」という資料が掲載されている。それによると、US Centers for Disease Control and Prevention (CDC)と世界保健機構(WHO)は、アメリカ国内および世界におけるアルコールの過剰使用の犠牲者と影響を受ける人々の人口について、ほぼ同一の結論に達したとある。

・2003年のアメリカ国内において、アルコールは死因の第3位となっている(推定死亡数85,000人)。

・NIAAAのアルコール関連状況疫学調査(NESRAC)21) によれば、アルコールを乱用するかアルコール依存となっているアメリカ人成人は1991~1992年には1,380万人であったものが、2001~2002年には1,760万人へと増加している(つまり、18才以上の人口の8.5%、大人12人に1人)。

・2004年6月10日発表のNational Institutes for Health (NIH)のニュースリリースではNESARCの調査結果をこのように要約している。  1991-1992年:アルコール乱用560万人、アルコール依存820万人、合計1,380万人。  2001-2002年:アルコール乱用970万人、アルコール依存790万人、合計1,760万人。

・NIAAAでは「アルコール乱用」を、仕事、学校、または家庭における主な責務を果たすことに失敗すること、対人関係あるいは法的な問題、および/または危険な状態での飲酒によって特徴づけられる状態と定義している。これには不注意によるアルコール関連の不運な一回限りの出来事も含まれていることだろう。このカテゴリに含まれる人はアルコホーリクかもしれないし、そうでないかもしれない。しかしながら、アルコホリズム(問題飲酒)の下方スパイラルの始まり段階の人々もある程度含んでいることだろう。より明確な判別が成されなかったのは残念なことである。

・NIAAAは「アルコール依存」(これはアルコホリズムとも呼ばれる)を、飲酒のコントロールの減弱、強迫的な飲酒、飲酒への没頭、アルコールへの耐性の増加および/もしくは離脱症状、によって特徴づけられる状態と定義している。このカテゴリに含まれると推定される790万人は、AAが「本物の」あるいは「アクティブな」アルコホーリクなどと呼び、主要な対象としているものに近い。

・NIAAAは「アルコール使用障害」の人数を、2002年の時点で、970万人のアルコール乱用に790万人のアルコール依存を加えた1,760万人としている。

2002年には世界のAAメンバー数は約210万人 22)。このメンバー数の数字は、AAの実質的な成功を示す数的指標だと見なされている。

・AAは7人のアクティブなアルコール依存の成人について1人を助けている。仮にアルコール乱用者を潜在的なメンバー候補だとすれば、15人の問題飲酒者に対して1人を助けている。

・これに相当する調査として、1991~1992年にNIAAAが行った“National Longitudinal Alcohol Epidemiologic Survey” (NLAES)が同様の数値を示した。アルコール依存症者7人に対してAAメンバー1人、12人のアルコール依存あるいは乱用者に対して1人のAAメンバーである。

本論でこれまでに引用したように、1960年のゼネラル・サービス評議会でビル・Wはこのように言及している。「けれど冷静に考えれば、私たちのソサエティが成し遂げたことは、アルコホリズムという問題全体に小さなひっかき傷をつけたに過ぎません。そのことを無視するわけにはいかないのです」。とはいうものの、AAは表面に小さなひっかき傷をつけただけでなく、その候補者の多くを助けている。

AAの成功についての主張を検証する:

AAの成功率を「50%+25%」とする主張は、1940年を最初に、その後おびただしい回数引用されてきた。そこから生まれてくる疑問は、他にも統計があったにも関わらず、なぜこの3つのカテゴリ(つまり、50%がすぐに酒をやめ、25%は飲んだが戻ってきて、25%が失敗)の値が70年以上にもわたって固定され変化を受けずに残ってきたのか、である。

この数字は事例的なものに基づいたもの(訳注:統計的でないという意味)だが、繰り返し引用されるうちに、決定的に正確だというイメージが与えられた。ではあるものの、推定に含める候補者の範囲と条件を考慮に入れれば、このAAの成功率の推定はまず妥当と言えよう。

AAの成功率(あるいは失敗率)を議論する上で、あまりにしばしば欠落しているのは、AAミーティングにやってきた、あるいはAAメンバーと接触した候補者のうち、ほんの一部だけがその先に進むことである。その人数は、世界に手を伸ばそうとするAAに難題を投げかけている。

AAの共同創始者であるビル・Wは、AAにやってきた人のうちAAに真剣に取り組むのは20%~40%だと推定されると過去に述べている。ビル・Wによる「50%+25%」の成功率は、このセグメント(部分集団)に限って適用したものである(その後もそうであった)。ビル・Wはこの重大な限定条件を、American Journal of Psychiatry(1949年11月)、ビッグブック第2版の序文(1955年)、そしてニューヨーク市アルコール医学会(1958年)で報告している。

AAに顔を出したけれどAAに取り組まなかったという60%から80%を含めて結果を計算することは非合理的である。それは何らかの医学的方法の有効性を測る際に、その医学的問題を抱えながらも医学的な手助けを求めない人たちまで含めてしまうのに等しいからだ。AAの回復プログラムについても同じことが言える。

AAのビッグブックの副題には「何千もの男女がアルコホリズムから回復した物語」とあるが、量に関して言えば、過去70年あまりの間に「何千人」の成功は、「何百万人」の成功へと手渡されていった。

AAの失敗についての主張を検証する:

世界的な規模で、アルコール乱用と依存による結果は厳しい状況にある。2003年にはアメリカ国内で1,700万人の候補者がアルコール問題の手助けを必要としていた。状況を説明すると、「助けを必要とする人たち」はAAミーティング会場のドアをくぐるか、AAメンバーの訪問を受ければ良いわけであるが、断酒と回復を達成するためにはその人が「助けを求める」必要があることを意識しなければならない。 AAはその始まりの頃から、AAミーティングにやってきた人の60~80%は真剣にAAに取り組んでみようとはしなかった。彼らは調査の対象とはなったが、(AAに)加わることをしなかった。彼らは興味を持たなかったか、AAで手助けが得られることに気がつかなかったのだ。また、AAの中に解決を求めない人たちの中には、人生が手に負えなくなったという彼ら自身の状態を認めることができないか、あるいはそれを認めることを嫌い、それについて何とかしようという意欲を持てない、という特有の特性を備えた人たちもいる。

こうした特性や潜在的な(対象)人数を考慮すれば、AAミーティングにやってきた人やAAメンバーが接触した人の一部しかAAで成功しないのは意外ではない。問題を抱えた対象者の中でも、助けを拒む、あるいは助けに抵抗するという特性を持ったセグメントを手助けしようという、うんざりするような挑戦をAAは行っているのである。

この対象人数の多さによって、(過去においても現在においても)AAの有効性を否定できるものでもないし、(現在の)AAの失敗を証明するものでもない。この数字は、アルコール問題の苛烈な結果に直面してもなお解決を求める意欲を持たずかつ非協力的な候補者たちを手助けする、というAAの使命の困難さを示しているのである。

時に「否認」とか「挑戦的姿勢」と呼ばれる不健全な特性によって、アルコホリズムはよりいっそう破壊的なものになっている。これにより、候補者自身がアルコホールの問題を抱えていることを認め、十分実績のある解決を受け入れることが、AAの最初のステップの中核的な原理であるとされている(「私たちは自分がアルコホーリクであることを心の底から認めなくてはならないことを知った」)。23)

ある人々は他の人たち(例えば家族、友人、医師、看護師、聖職者、法律家)あるいは制度(例えば職場、治療施設、法制度)からの圧力を受けてAAにやって来る。とはいえ、AAへの出席を強いられた人たちもともかく酒をやめる。

断酒とはまったく関係のないことを解決したがる人たちもいる。そうした人たちの多くは、AAミーティングに何回か顔を見せた後には、もうミーティングに出るのをやめてしまい、AAを試してみようとはしない。さらに加えて、飲酒の経験を持たないドラッグ・アディクトの増加、裁判所の命令や職場の命令によって非自発的にやって来るたくさんの人たちがAAミーティングに出席し、こうした数字をもたらすのである。

・AAにやってきた人の20~40%は酒をやめたいと願っている。彼らは、それ以前に何百万人が試してうまくいったやり方を試してみるだろう。彼らはAAのビッグブックが「回復に必要な核心」だとし、さらに、「これらなしに、回復はありえない」と強調しているもの、すなわち意欲、正直さ、開かれた心を、最初から備えてきたか、あるいは後になって培う。24)

・ビル・Wその他が主張している50%+25%の回復率は、この「真剣に努力して取り組んだ」20~40%の人たちだけに当てはめられうるものだった。ビル・Wはこの限定条件を強調するよう務めていたが、それはしばしば曖昧にされ、また無視された。

・努力して取り組むことのなかった60~80%はAAの失敗ではない。AAに費やした努力がゼロならば、AAから得られる結果もゼロであるのは単純な常識である。これはAAの有効性の問題ではなく、候補者がAAを信頼して、AAの回復プログラムに対して努力できるかどうかの問題である。

主張の根拠と引用について検証する:

AAでの回復率が5%あるいはそれ以下という失敗の神話を広めようとしている人たちは、AAの悲惨な(そして歪められた)回復率を主張し、それは特定のタイプのビギナーズ・ミーティングやステップのコレオグラフィー(振り付け)、あるいは口述や筆記による棚卸しのやり方、特定の祈りや黙想の方法や、また聖書を使うこと・・・などなどで、元の水準に戻せると断言している。

このような主張をする復古運動は希望的な想像と推測の産物であり、歴史についての信頼できる調査、情報、実証とは対照をなすものである。データの収拾手法や原因と結果の推定に欠陥があり、それらがどのように引用され、どんな主張を組み立てているかについても無頓着である。

歴史についての分析は、ある程度学術的な体裁を保っているが、綿密な調査が行われる一方で、(資料を)検証する努力は少なく、観察されたデータの精度には疑問が残る。

誰かが悪意を持って人を欺こうとしたとほのめかしたいわけではない。この問題の複雑さを分かりやすく描くとするならば、まず、今日のほどほどの規模のAAグループを対象にして、過去6ヶ月あるいは1年の成功・失敗率を導き出そうとしてみて欲しい。AAの備える構造、(グループの持つ)自律性、またアノニミティ(無名性)が強調されるおかげで、成果の精密なデータを求めることは事実上不可能である。

AAの回復率が惨憺たるものであるという主張に関連して、不正確な言明や「研究が示すところによれば・・・」という引用を行うことで研究による裏付けがあると表現する主張が、ますます頻繁に行われ、広がりつつある。その多くのケースで、おざなりなレベルの議論や、実質を伴わない論文が引用されているに過ぎない。それらの学術論文その他の文献が、題や著者や日付から特定できることはない。

多くの場合、特定の研究への参照を示すこともなく、ただそれが存在するとのみ主張し、実際には存在していない、そんな疑わしい引用を、再引用(孫引き)しているだけである。その結果、AAの失敗率についての間違った主張が、あたかも妥当性を帯びているかのように示され、立証されることなく繰り返されてきた。

また、失敗の主張あるいは推論を実証するわけではない特定の文書が引用されていることもあった。

本論における成功の主張の検証する:

AAの成功あるいは失敗の評価は、それが肯定的な主張であれ、否定的な主張であれ、それに対して決定的に正しさを立証する、あるいは間違いとして論破するために必要なAA内で一貫した記録が保持されていない事情により、困難なものとなっている。AAの(グループの)自律性と無名性を持った構造が、AAグループやメンバー数の履歴の推定すら得ることを難しくしている以上、過去70年を越えるAAの歴史の中での成功あるいは失敗の計測はいずれも精度の低いものとなっている。

ではあるものの、本論でも取り上げた1968年以来のAAメンバー調査は、取得できた信頼性の高い統計情報を元に得られた特徴によって(AAの)平均像を提供してくれるもので、そのサンプル抽出は無作為に行われ、正しい文脈で解釈され、そして最も重要なことは倫理的にかつ正確に解説されていることである。

本論のa), b), c)の各章では、過去3年おきに行われたAAのメンバー調査について、グラフや表やその解析を掲載した。これらによって、調査のデータをどのように解釈すべきが明白に説明できていることを望むばかりである。

要約すると、これらのデータは以下のことを示している:

・AAミーティングに出席して1ヶ月目の人たちは、その26%が1年経過した後にも出席を続けている。

・4ヶ月目にもAAミーティングへの出席を続けている人たち(つまり90日間を越えて留まっている人たち)は、その56%が1年経過した後にも出席を続けている。

・その他の調査においては、最初の年についてやや良い保持率の結果が得られたものもある。

・2004年の調査では、2001年の調査よりも断酒期間が伸びている(この傾向は1983年以降一貫している)。

・2004年の調査では、それまでの調査における「5年以上」の範囲が分割され、「5~10年(14%)」、「10年以上(36%)」、つまり5年以上が50%と、AAにおける長期断酒者の存在が目立つものとなっている。

・AAにおける断酒期間の伸びをみると、1983年の調査では5年以上の断酒期間を持つ者の比率は25%であったが、2004年の調査では5年以上が50%となっている。

・AAにおける断酒期間の平均を見ると、1983年の調査では平均で4年であったが、2004年の調査では平均8年以上となっている。

これらは失敗を示す数字とは言えない。


f) 初期AAにおける予備選択(プレスクリーニング)

初回で50%、最終的に75%にもおよぶ成功率(初期のAA におけるものとしてしばしば引用されるもの)を達成するためには、対象者をあらかじめ選択しておくか、もしくは比較的少ない回数しかミーティングに来ない本当の内面的モチベーション(動機)を欠いた人々を除外する、あるいはその両方を行う必要がある。

(AAは)その始まりから、断酒してしらふになりたいと望んでいる人たちと一緒にやることを望んでいた。ビッグブックの英語版182ページ(和訳は『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語』Vol.1 p.17)には、やがて「アルコホーリクス・アノニマス第三の男」となる男が、AAの共同創始者ビル・Wとドクター・ボブが入院中の彼の元を最初に訪れた時のことを書いている。

そして私に向かってこう言った。「あなたは酒をやめたいですか? あなたの飲酒のことをとやかく言いに来たのではありませんし、あなたの飲む権利とかそういうものを取り上げに来たわけでもありません。私たちにはプログラムがあるんです。このプログラムを実行することによってしらふでいることができます。このプログラムを必要とし、求め、望んでいる人に伝えるのも、このプログラムの実行です。ですから、もしあなたがそんなプログラムは必要ないということでしたら、あなたの時間をつぶすのはやめて、よそへ行って別の人を探すことにします」

初期のAAにてこのような事前選択が普通に行われていたのは、ひとつは候補者が(典型的な慢性の、あるいは「どん底の」)アルコホーリクであることを確かめるためであり、また候補者をグループに連れて行く前に(あるいは彼らのスポンサーになる前に)、彼らに「降伏」の経験をさせるためである。

初期のアクロンにおいては、AAの共同創始者ドクター・ボブは候補者と一緒に取り組み始める前に、彼らに対して精力的な事前選択を行っていた。こうした事前選択の手法により、良い選択眼を持てば、成功率を上昇させることができた。

ドクター・ボブの死後、シスター・イグナチアがセント・トーマス病院で高い成功率を維持できたのは、AAメンバーに対して事前選択をするよう彼女が仕向けたからである。彼女はアクロンのAAの社会的地位の高いメンバーに、新人たちの「スポンサー(保証人)」となることを要求した。それは入院中にAAメンバーが面会に来るというだけでなく、新人が勝手に退院してしまったり、入院費用を支払わない場合に代わって支払うことに同意することを意味した。これによって事前選択が厳格なものになったことは疑いない。シスター・イグナチアはこの病院で治療を受けるチャンスを通常一回しか与えなかった。まれに彼女は二回目の入院を許したが、その患者を他の入院中のアルコホーリクたちとは完全に隔離させたのは、士気の低下を防ぐためだった。さらに、三回目のチャンスは誰にも与えられなかった。これも「成功」率を上昇させるのに役立った。ニューヨークやクリーブランドでも同様の試みが行われていたと思われる。

アルコホリズムの治療センターが連続して何回でも治療に戻って来ることを許すと、見かけの成功率は明らかに低下する。このことについての言及は、Mary Darrahによる伝記『シスター・イグナチア』にも見られる。ビル・Wも後に取り上げる論文 “On the Military Firing Line in the Alcoholism Treatment Program”(陸軍におけるアルコホリズム治療プログラムの発火点)という論文の中で記述している。ビルはセント・トーマス病院にシスター・イグナチアを訪ね、彼女のやり方を見た様子を詳しく述べている。

クリーブランドのメンバーたち(およびオハイオ州アクロンのメンバーたち)がオックスフォード・グループから独立したとき、彼らは候補者に対するたいへん厳格な事前選択を採用していた。現在では、これは、その精神においても、また字句的にもAAの伝統3の正反対であったと見なすAAメンバーがおそらくいるだろう。また、ビギナー向けの厳格なミーティングのシリーズを、通常のミーティングとは別に行えば良いと解釈する人たちもいるだろう。アクロンやクリーブランドのメンバーたちは、候補者とたいへん熱心に取り組んだ。初期のAAメンバーの多数は、絶望的でどんな手助けも役に立たないと見なされたアルコホーリクたちだったことは考慮されるべきである。

『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』にクリーブランドでの成功例が記述されている。

ウォーレンは、つぎのように続けている。25) 「わが家で、クラレンスがまず私に話をしたあと、他の人たちがやってきて私に語りかけました。いまのように、一人の人と話しただけでは、ミーティングには参加させてくれなかったのですよ。ミーティングで、どのようなことを聞くことになるのか。またプログラムの目的はなにか。それを、ある程度までわかっていなければならない、と彼らは考えていたのです。つぎに、クラレンスから三ヶ月間にわたり毎晩、比較的新しいメンバーたちの家に通うようにと言われたので、26) 私は九~十人のメンバーたちの話を聞きました。ミーティングに初めて参加する前には、さらに、ビッグブックを読まねばなりませんでした。その結果、彼らが何をやろうとしていたのか、私はかなり理解できるようになっていたと思います」

下記は『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』から、オハイオ州のクリーブランド・グループが93%の成功率を達成した条件について抜粋してある。27) クリーブランドで93%の成功率が達成できたのは、これまでに論証してきたように、事前選択済みの候補者についてであろう。

クリーブランドでのミーティングは、アクロンとは、いくらか違ったかたちで発展していった。「ミーティングは声に出してのお祈りから始まりました」とクラレンス・Sが語っている。「スピーカーは、四週問まえに選ばれ、スピーチの時間は四十五分、最後は『主の祈り』でしめくくりました」 「そのあと、ミーティングが再開され、説明や質問など、ざっくばらんな話し合いがおこなわれていたのです。ミーティング全体は、一時間半から二時間でしたね。前半は禁煙で、後半の懇談のときには喫煙がゆるされていました」
「たばこは良くないですよね」とクラレンスがつぶやいた。「皆さん、気楽に考えすぎですよ。私は、すこしはマナーというものが必要だと思っているのです。当時のAAは、いまより、もっと効果的でした。クリーブランドの記録では、AAにつながった人の九十三パーセントの人が、再飲酒はしなかったのですよ。ですから、AAにいる人がスリップしたことを知ったときは、それはもう本当にショックでした。それにしても、いまのAAは、厳しさが欠けているように思います。だれかが紛れ込んでいても平気なのですからね」

『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』には、クリーブランドでの候補者に対する厳しい事前選択についてさらに記述がある。こうした慣行は消極的あるいは残酷な理由で行われていたのではなく、実際的な理由があったことがわかる。それは極めて困難で挑戦的と言えるほど慢性アルコホーリクの数は多く、それに対してAAのプログラムの効果を示す生きた見本として奉仕できるような信頼できるメンバーは初期においてはあまりに少なかったことが、こうした事前選択の背景にあったことだろう。

クリーブランドの初期のミーティングでは、まだ飲んでいるアルコホーリク、あるいはやめたばかりのアルコホーリクは、出席を厳しく制限されていた。それについて、ビルにあてた一九四〇年九月のクラレンスの手紙には、「いくつかのグループでは、入院するか、AAメンバー十人の話を聞き終えたあと、初めてミーティングヘの出席がゆるされる」と書かれていた。当時のメンバーは、三ヵ所の病院と二ヵ所の療養所と「取り決め」を交わしており、それらの施設には、いつも十人から十五人のアルコホーリクが入院している、とも記されていた。
参加資格にかんする以上の条件は、1941年の一月には、やや緩和された。クラレンスによれば、新しい人がミーティングに出席するには、入院をすること、さもなければ五人のメンバーの話を聞くか、あるいは委員会による承認を得るかの、どれかひとつが必要であると「ほとんどのグループ」で定めていたという。 ヤングスタウンでは、新しいメンバー候補が初回のミーティングに出席をゆるされる前に、二組の夫婦による訪問を受けることが通例になっていた。まず、男のAAメンバーが、新しいメンバー候補にAAについての説明をしてから、こんどは、その妻のほうがメンバー候補の妻に話す。「このようにして、新しい人は、おおよその知識を持ってからAAに参加するようになっていたのです」とノーマン・Yが話している。
また、クラレンスは、「いろいろなグループがあり、それぞれが特徴を持っていました。しかし、一般的には、ある人がミーティングに来る前に、その人のやる気を確かめ、心の準備をさせてから、AAの目的と原理についての正しい知識を伝えておく。こうすることで、酒に浮かれている男たちにミーティングを妨害されることが少なくなったのです」と記している。

候補者がミーティングへの参加が許されるためには、3ヶ月間断酒できたことを示す必要があった。このような事前選択によって、酒をやめ続けることができない人たちは、クリーブランドが報告した93%の成功率の計算には含められなかった。同様の参照が『米国アディクション列伝』にも見られる。28)

AAがオックスフォード・グループから発展的に独立し、ビッグブック発行に向けて動き始めていた頃、それほど目立ったものではないが、もうひとつ画期的な出来事が生まれていた。将来のメンバーたち(当時は、「候補生」、「ベビー」、「ピジョン」、「フィッシュ」、「注意人物」などと、さまざまな呼び名があった)のミーティング参加資格を決定する規則作りがあちこちのグループで行われていたのだ(後にこのような規則は緩和される)。例えばクリーブランドのいくつかのグループの場合だが、病院で解毒が済んでいるか、10人のメンバーとの面接を済ませていなければ、ミーティング参加資格を与えなかった。デンバーのあるグループは、ステップを終了していなければミーティング参加を許さなかった 41

Endnote (41): P., Wally (1995) “But, For the Grace of God…How Intergroups & Central Offices Carried the Message of Alcoholics Anonymous in the 1940s” Wheeling, WV: The Bishop of Books.

クリーブランド地域のグループのやり方は、本質的にはすでに回復を成し遂げ、断酒を継続する能力を証明した候補者を「選り好み」している。彼らはクリーブランドのミーティングに参加を許される前の、見習いあるいは入門期間をおおよそ無事に過ごした。

このような状況を踏まえると、クリーブランドで「93%」の成功率が実現されていたという描写は、初めてミーティングに出席する前にすでに3ヶ月の断酒という十分な結果を得た候補者を事前に選び、それに対して93%の成功率をおさめたと主張しているに過ぎない。

有名になった「93%」の成功率は、実は「失敗に終った」ためにクリーブランドのミーティングに出席を許されず除外されたアルコホーリクの数を示さず、実績を示した好都合な部分集合を候補者にするよう偏らせることで作り出された、どうにも心許ない主張に過ぎなかったのである。

ビル・Wは、働きかけるアルコホーリクを選別することは、特に新しいグループを立ち上げるときには、十分な理由があると考えていた。それは「数字を良くする」ためではない。彼は選別がアルコホーリクス・アノニマスの成功に欠かせないことだと考えていた。1939年に、シカゴでAAグループを始めようとしていたEarl Tに宛てた手紙の中で、ビルはこう書いている。29)

このやり方だと、浮浪者や精神に障害を持った人たちをたくさん簡単に引き寄せます。確かに、神の目には彼らも他の私たちと同じように大切なのに違いありません。彼らは私たちより壊れ方が激しいだけであって、後に分かるように、グループが十分な大きさと力を蓄えたときに、ある程度の数の彼らを引き受けられるようになり、彼らも見捨てられることはなくなるでしょう。けれど、最初から彼らをあまりたくさん引き受けてしまうと、あなたの家はまるで飲酒同好会か、病院か、託児所のようになってしまうでしょう。

(上でも引用した)“Survey Midmonthly”誌の1947年6月号の「問題飲酒者」と題された記事では、刑務所や保護観察の初期における事前選択の採用について述べている。

刑務所および矯正施設内ですでに30以上のAA支部が設立されている。刑務当局と支部メンバーの監督の下で行われる週一回のミーティングには、30人から40人ほどの受刑者たちが参加し、訪問したAAメンバーたちの話を聞いた上で、質問や提案や、自ら話に加わるように促される。<b>新しい参加者は酒をやめたいと心から思っているかどうか注意深く確かめられ事前に選択される</b>(強調追加)。アルコホーリク候補者に対するAAの取り組みにおいては、<b>受刑者はその監督を引き受けるAA「スポンサー」の観察下に置かれる</b>(強調追加)。スポンサーは彼を地元のAAクラブハウスに紹介し、日頃のミーティングに一緒に参加する。これは、新しいメンバーに対して、グループに「属し」、「家族の一員となった」ように感じてもらうためである。

ビル・S(Bill S.)軍曹は、『On the Military Firing Line in the Alcoholism Treatment Program(アルコホリズム治療プログラムの軍隊における最前線)』と題した彼の本の中で、彼が1950年代初頭にサン・アントニオのラックランド空軍基地で立ち上げた、極めてAAに類似したアルコホリズム治療プログラムにおいて、どのように同様の成功率を達成したかについて述べている。50%は初回から断酒し、その後も断酒を維持し続けた。その他の人たちも、いったんはこのプログラムから離れたものの、最終的にはチャンスを逃したことに気づいて、自らAAミーティングに戻り、酒をやめた。

ビル・S軍曹(彼は1948年にロングアイランドで酒をやめた人物)は、自分が関わる前に対象者の事前選択を行った。強い動機を持っている根拠があるかどうか(これはドクター・ボブが重視した基準である)、さらにビル軍曹は、重大な精神的問題を抱えた人を除外した。後者の基準とは、深刻な精神的問題を抱えた空軍職員は除隊になってしまうため、彼のプログラムに加えることを拒んだのだった。

ナンシー・O(Nancy O)の本、『With a Lot of Help from Our Friends(友人たちの支えがあればこそ)』には、1960年代の海軍でJoe Zuska医師が立ち上げた治療プログラムの成功について述べた章がある。このプログラムはチームによる取り組みであり、その中にはあるAAメンバー(退役した海軍中佐ディック・J)が常にアドバイスを提供していた。チームの中でJoe医師は(アルコホーリクではなかったが)ディック・Jの話を真剣に聞いた。

引退した海軍中佐サブマリン・ビルは、元はZuska医師が立案した海軍での治療プログラム全体に関わった。彼らは候補者をたいへん注意深く事前選択し、プログラムに取り組むことを拒否する者は、治療プログラムだけでなく、海軍からも追い出した。こうしたことで、彼らもたいへん印象的な成功率を示したのである。

初期のAAメンバーたちは「リハビリ」センターや「デトックス(解毒)」センターのようなところでの治療プログラムの開発の多くに直接関与したのであるが、現在ではそれらは「協力すれども従属せず」の精神で運営されている。それらの施設はAAから完全に分離された。施設の重要性は、今日のAAメンバーのおよそ1/3が、彼らが最初にAAにつながった重要な要因の二つのうちのひとつが「治療施設」であると述べていることからも分かる。30)

では現在のAAも同様の成功率を上げられるだろうか?

サブマリン・ビルともう一人のAAメンバーは、インディアナ州オセオラ(Osceola)において、優れたAAミーティングでの研究を行った。そこでは、古い時代のAAのやり方と手続きに従っていた。過去12年以上にわたって、毎週木曜日の晩のミーティングにまる1年間(ほぼ)欠かさず出席していた新人の90%は、その年に飲酒をしなかった。さらに、その年に飲酒しなかった者の90%は、その後に他の地に移って他のAAミーティングに行くようになった人も含めて、現在も断酒を続けている。このやり方で、約80%の成功率が達成できたことになる。

調査を行った二人の人物は、ミーティングに比較的少ない回数しか出席せず、その後に脱落してしまった人たちをまず初めに除外したが、それは彼らが真の動機を持っていなかったからだと説明している。彼らを除けば、最初の1年の内にミーティングに行かなくなった人は少数である、としている。

ひとつの課題は、多くのアルコホーリクの候補者が当然に示す「否認」や抵抗を、AAの回復のメッセージがどう乗り越えていくか、を示すことだ。候補者たちが十分長く留まれば、彼らは最終的には「納得する」のである。上に引用した成功例は、候補者達がAAの回復のプログラムに「真剣に取り組めば」何を成し遂げられるかを明らかにしている。

ビル軍曹は彼の本の中で、初期の頃、アクロンの周囲地域には、良好なAAグループも、下手(poor)なAAグループも存在していたことを説明している。彼は1940年代にアクロン市近くにあったあるグループが、新しい人を手助けすることにひどく失敗していたことや、助けられたはずの人たちのほとんどに失敗していた理由を明らかにした。

事前選択を行って、AAミーティングからある種の人々を排除することは道徳上のジレンマを引き起こす。

  • 基準をあまりに高くしすぎると、ときにメンバーたちは、プログラムに取り組める候補者の一部についても、一緒に取り組むことを拒むようになってしまう。それは、その人たちに悲惨な運命を、時には死刑を宣告するのに等しい。
  • 基準をあまりに低くしすぎると、(シスター・イグナチアが強調したように)モラール(士気)が低下してしまう可能性がある。そのことは、プログラムに取り組めるアルコホーリクたちを、結局は失敗に導き、同様に(死刑)宣告をするのに等しくなってしまう。


g) AAメンバーの構成と成長の動向

1937年10月、オハイオ州アクロンで、AAの共同創始者であるビル・Wとドクター・ボブが会った。『AA成年に達する』によれば、この時二人はその時点でのメンバー数についてのお互いの「メモを見比べた」。40人以上のアルコホーリクが酒をやめていた(そのうち20人は1年以上経過していた)。その全員が以前は絶望的だと診断された人たちだった」。この会合での話題はさまざまだったが、やがてアクロンからもニューヨーク周辺からも離れたところにいる人たちのために、経験を述べた本を作る提案へと導かれた。この経験を書いた本がAAの『ビッグブック』である 31)。そして後にビル・Wが書いた『12のステップと12の伝統』の中で彼はこう述べている。32)

私たちの仲間がまだ少なかったときに発刊された『アルコホーリクス・アノニマス』の初版本が、どん底のケースばかりを取り扱っていたわけはここにある。それほどひどくないと思っていたアルコホーリクもAAに来たが、自分がどうしようもない状態だと認めることができなかったために、うまくいかなかった。

ところが驚くべきことに、それから数年で、事情がすっかり変わった。まだ元気で、家族もいて、仕事も失わず、そのうえガレージには車が二台もある、といったアルコホーリクたちも、自分のアルコホリズムを認めはじめた。この傾向が広がって、まだほとんど潜在的アルコホーリクと言ってもよいような若い人たちも加わった。この人たちは、私たちが通った、文字通り地獄の十年ないし十五年を経験しないですむように・・・。

次に掲げる表は「AAメンバーシップの発展の傾向」と「AAグループとメンバーの推定数」である。1954年以降の数字はゼネラル・サービス評議会の最終報告書から得た。1954年以前のデータは、Grapevine誌1953年5月号に掲載された「How Many AAs?(AAメンバーは何人いるのか?)」という記事から取った。その記事にはこう述べられている。

最初の100万人が最も困難であるとするなら、アルコホーリクス・アノニマスはすでにその仕事の8分の1を成し遂げている・・・世界のメンバー数はすでに100万人の8分の1を超えた。正確に言うと、1953年の世界グループ一覧によると、メンバー数は128,361人となっている。

ではあるものの、AAメンバー数の正確な統計は決して得られないものだ(強調追加)。一人ひとりのメンバーの無名性を守るためには、メンバー全員の名簿などは作れない。最新のメンバー数の数字は、世界の58ヶ国の5,243グループと127人の「ローンナー」からの報告に基づいている。観察眼の鋭いメンバーならば誰でも知っているが、グループの活発なメンバーの数は常に変動しているし、「いつメンバーになるのか(“when is a member?” [sic])」の解釈によっても数が違ってくる。さらに加えて、多くのグループがメンバー数の毎年の報告を送り損ねている。

他にも予測できないパターンを持った変動要因がある。それはさまざまなグループで使われている「人数の数え方」である。あるグループは、定期的にミーティングに参加し、自らそのグループのメンバーだと表明する人を数えるべきだと提案する。およそ3ヶ月の間、ほぼ定期的にしらふで姿を見せている人全員を数える、とするグループもある。集まった献金の平均額を適当な額で割って人数を求めているグループもある。悪天候の日に参加する人だけ数え、12ステップコールへの参加を拒む人を外し、いつでも掃除や皿洗いを引き受ける意欲のある人だけ数えるという提案もある。また、権威のある提案ではないが、ミーティングの後で残されたタバコの吸い殻を数える方法もある。

ゼネラル・サービス本部は「政府」の役をするような指示やルールや規則などを発行することはない。だから、AAの年次調査は、それぞれのグループが安定した中心的メンバーの数としてセクレタリから報告される数を、それが多かろうと少なかろうと、忠実にそれらをすべて集計したものである。ニューヨークでは4人のスタッフが新しいグループ一覧表を作成するために、3ヶ月にわたって、数千枚の情報カードと、必要な情報を提供しようと望むグループから送られてきた数え切れないほどの手紙を処理している。

現在に至っても、AAの持つ自治性と無名性という性質が、精密な調査結果を導き出すことを極めて難しくしていることに変わりはなく、本質的に不正確なものである。

以下の表4と表5内のデータは比喩的なものであり、文字通りに解釈すべきものではない。数字は実態より低く見積もられている。グループのメンバー数は、AAWS/GSOのリストに掲載されるように要求したグループのものだけを数えている(非常に多くのグループがリストへの掲載を望まない)。メンバー数の推計を送らないグループもあり、時間が経っても以前に送った推計を更新しないグループもある。メンバーが複数のグループでカウントされることもありえるし、数の表現も「報告」であったり「推計」であったり何度も変更された。これらのデータは注意深く、懐疑的に、かつ正しい文脈で解釈されなければならない。

AAは約150ヶ国にある(海外には50のGSOがある)。AAWS/GSOは彼らのリストへの掲載を要求してくる他のGSOやグループからデータを得る。現在のデータが得られない場合には、以前の数字が用いられる。報告を送ってこないグループのメンバー数の推定には、報告を送ってきたグループの平均値が使われる。そもそも、こうした数字はせいぜい良く言って「曖昧」であり、間違った結論を避けるためにも解釈には用心が必要である。このデータからは特定の年の増加あるいは減少を正確に測ることはできない。ではあるものの(不正確ながら)、AAグループがより多くの場所に広がり、より多くのAAメンバーが回復していることを10年単位の傾向で示すことはできる。

表4: AAメンバー数 増加の傾向
期間 メンバー数 変化量 変化 % 注記
1935 5 5 アクロン#1とNYグループ創設 33)
1935 to 1939 100 95 n/a 34) ビッグブックの出版
1939 to 1949 75,625 75,125 n/a% 主に第二次大戦後に増加
1949 to 1959 151,606 75,981 100% 1952年に年ごとの増加ペースが安定
1959 to 1969 297,077 145,471 96%
1969 to 1979 867,411 570,334 192% 海外の数値が見直された
1979 to 1989 1,793,236 925,825 107%
1989 to 1993 2,062,011 268,755 15% 計数システムの変更
1993 to 1999 1,989,740 -72,271 -4% 計数システムの変更
1999 to 2007 2,044,655 54,915 3%

1979年には海外の数値が見直され、1978年の倍になった。1993年と1994年には、アメリカ/カナダGSOの計数方法と記録システムに大きな変更が加えられた。「ミーティング」と表現され「グループ」と見なされないグループの数は、それ以後は含まれなくなった。こうした「ミーティング」(典型的なのは「アルコールと処方薬」や「家族向け」など特別な目的のためのもの)は、前年までのデータには含まれており、数値を膨らませていた。1993年と1994年の改訂は、AAメンバー数の前年よりの急激な減少としてしばしば誤って引用されるが、実際にはGSOの計数方法と分類の管理上の変更を反映しているに過ぎない。

長年のあいだ、GSOでは彼らが正確な総数と信じる「推定数」を発表してきた。この「推定数」は報告を集計したデータより大幅に多い(時には3倍)。また、各年の基準月に一貫性がないことも指摘しておくべきだろう。1960年から1982年までのデータは、その年の4月1日までに送られてきた報告を集計していた。1983年以降現在までのデータはその年の1月1日から12月31日の間に送られてきた報告を集計している。現在の評議会報告書に掲載されているデータは、前年のものである(例:2006年の評議会報告書には暦年2005年を集計したデータが掲載されている)。

AA全体のメンバー数の推定数は、それを大まかな指標として捉えれば、AAが過去相当に長い期間にわたって正しいことを成し遂げてきたことを示してくれる。70年以上の間にAAメンバーシップは、1935年にはアメリカに二人のメンバーと二つのグループしかなかったものが、現在ではおよそ200万人のメンバーと10万のグループによる国際的な共同体に成長したと推定される。

これは何かが良くないことを示すデータではない。

Table 5: Estimated Counts of AA Groups and Members (1/3)

Table 5: Estimated Counts of AA Groups and Members (2/3)

Table 5: Estimated Counts of AA Groups and Members (3/3)

1)
アメリカ・カナダのゼネラル・サービス・オフィス(GSO)はニューヨーク市にある。本論ではしばしばAAWS/GSOと表記する。
2)
「ビッグブック」という言葉はAAの基本テキストである『アルコホーリクス・アノニマス』という本のタイトルの代わりに使われている(どちらもAAWSの登録商標である)。
3)
“AA’s Triennial Surveys”(AAの3年ごとの調査について)というタイトルで、1977~1989年の5回の調査についてのものである。
4)
“Pass It On” p.226(AAWS)
5)
ビッグブック p.xxv(25)
6)
ビッグブック第2版のページ番号の振られていないp.167~169に、個人の物語の紹介でビル・Wが記している。
7)
1938年7月のビル・Wからリチャード・C・カボット医師への手紙。GSOアーカイブ ref: 1938-81, アルコホーリク財団, R 28, Bx 59.
8)
この議事録の日付は「1938年4月11日」と間違って記録されている。GSO アーカイブ ref: 1938-19, アルコホーリク財団, R 10, Bx 22.
9)
「サタディ・イブニング・ポスト」1941年3月刊。AAから“Jack Alexander Article About AA” (P-12) として出版されている(© AAWS, Inc.)。日本語訳は『BOX-916精選集第3巻』(X-07)に収録されている(pp.15-33)。
10)
『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』p.53, 291, 468 および“Pass It On” p.266 いずれも© AAWS, Inc.
11)
『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』pp.467-468 © AAWS, Inc.参照
12)
“Medicine Looks at Alcoholics Anonymous” 1944年5月のニューヨーク州医学会でのビル・W の講演
13)
後に再版されたものからは、回復率とメンバー数についての数字を含む段落は除かれている。
14)
1949年4月 “Survey” Hope for the Alcoholic(アルコホーリクの希望) Kathryn Close
15)
ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第3部「ほとんどすべてを失った人たち」の序文、ページ番号の振られていないp.167。
16)
ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第1部「AAのパイオニアたち」の序文。ページ番号の振られていないp.169。
17)
ビルの1958年4月のスピーチはAAパンフレット(P-6) “Three Talks to Medical Societies” © AAWS, Inc. に収められている。
18)
“AA Today”はAA25周年を祝う1960年の国際コンベンションの記念品。
19)
このメンバー調査は1968年の6月・7月に行われ、466のAAグループの11,355人のAAメンバーが参加した。
21)
NESARCの詳細については http://niaaa.census.gov/
22)
本論の末尾にあるAAメンバー数の表を参照のこと
23)
ビッグブック第3章「さらにアルコホリズムについて」45ページ
24)
ビッグブック 付録Ⅱ「霊的体験」p.268(ポケット版)
25)
『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』 p.247
26)
今日では、これは「90イン90」あるいは「90日間で90回のミーティング」と呼ばれるものだ。
27)
『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』 p.383-384, p.385-386
28)
『米国アディクション列伝』page 132-133 © ウィリアム・L・ホワイト.
29)
“Pass it On” page 225.
30)
「2004年AAメンバー調査(2004 AA Membership Survey)」c AAWS, Inc. によると、31%のメンバーが治療施設を挙げ、別の8%は相談機関を挙げている。
31)
『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』p.219-223 © AAWS, inc
32)
『12のステップと12の伝統』ステップ1 p.31
33)
AA最初のグループ「アクロン#1」は1935年7月4日に始まった。これは3番目のAAメンバーであるビル・Dがアクロンシティ病院を退院した日である。
34)
%の数字があまりに大きく、前後関係からして並はずれているので n/a を表示した。
doc/aa_recovery_outcome_rates.txt · 最終更新: 2015/09/04 14:12 by ragi